こんにちはカイリトです。
今回の記事は「人生の短さについて他2篇」を読んだので、
その感想を書いていきます。
この作品は、
- 人生の短さについて
- 母ヘルウィアへのなぐさめ
- 心の安定について
の3作品が書かれています。
この作品を読んでみて、
人生を長く使っていきたいと思ったけど、
いきなり全部を実践するのは難しいと思うので、
- 本と本棚を減らしたり
- 仕事を忙しくしない
- 他の哲学の本を読む
などの行動を少しずつ増やしていきたいです。
読んだきっかけ
アマゾンで面白そうな小説を探してみて、
カテゴリーの小説を探して、
この本が目に入ったので商品ページを開いてみた。
そうして、
人生は浪費すれば短いが、過ごし方しだいで長くなると説く表題作。
Amazonの商品ページより
と書かれていて、
これからの人生が短くなってしまうのかと思い、
気になって読んでみることにしました。
この本はKindle Paperwhiteで読んだのですが、
その時に注釈があってそこをタップすると説明が出てきて、
ページを行き来せずに読めるので便利だと思った。
だけどその注釈を開くときに、
間違えてページをめくってしまうのは少し不便に感じた。
人生の短さについて
この作品は、
セネカがパウリヌスという人物に向けて書かれている。
この人物は多忙な仕事の、
ローマ帝国の食糧管理官で、
そのような仕事から身を引いて、
間暇な生活を送るように勧めている。
人生は無駄にしないなら長いと書かれていて、
確かに80年くらいは長いなと思い、
それくらいならば何かできるかなと思ったりした。
だけどそれを短くしているのは自分自身で短くしていて、
例えば老人の人生を見て、
- 債権者
- 愛人
- 主人
- 手下
- 夫婦喧嘩
- 奴隷
- 勤め
- 病気で失われた
- 無駄に使った
などによって奪われた時間を計算してみると、
手元には少しの年月しか残らない。
そうして時間をどんどん使っていったことを自覚させてきた。
多忙に生きる人たちは生きていない
周りから見て成功している人でも、
不満がある人たちを何人か書かれている。
- 神君アウグストゥス
- マルクス・キケロ
- リウィウス・ドルスス
などの歴史上の人物を例に挙げて書かれている。
この3人は簡単にいうと、
- ローマ帝国の初代帝国
- ローマの政治家、弁論家、哲学者
- ローマの政治家
だった。
この作品の3つではこのように、
歴史の人物を証拠として持ってきて、
アドバイスや意見が書かれている。
生きるということから最も遠く離れている人として、
多忙な人というのが書かれていた。
- 高官の徽章を手に入れた人
- 公共の催事を運営している人
- 人気弁護士
などの色々な人たちが、
- どうやったら終われるのか
- どうやったら休めるのか
などと言って不満を言ったりしている。
偽りの間暇を生きる人たち
間暇としては時間があるだけの人たちについて、
紛い物の間暇を生きているとして紹介されている。
偽りの間暇の例として、
- コリントス製の青銅器を並べいじりながら日々の大半を過ごす人
- レスリング場で若者たちの試合を熱心に見ている人
- 自分が育てている選手たちの群れを年齢や肌の色で組み分けしている人
- 新人選手たちの支援をしている人
- 理髪店で何時間も過ごす人
- 歌を作ったり、聞いたり、習うことに夢中になっている人
- セラやレクティカを必ず使って外出する人
- 沐浴や水泳や食事などの決められた時間がきたのを誰かに知らせてもらう人
- ボードゲーム、球技、日光浴に一生懸命
- 雑学の研究に熱中する人
などが紹介されていた。
セラやレクティカとは、
- 椅子に2本の棒を繋いだ移動手段
- より大掛かりなもので屋根のついた寝台
で日本の輿のようなもので人力で人を運ぶ手段となっている。
真の間暇は英知を求める生活の中にある
真の間暇は過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある。
全ての人間の中で、
間暇な人と言えるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ、
と書かれている。
そのような人たちは、
自分の人生を上手に管理できるだけでなく、
自分の時代に全ての過去の時代を付け加えることができる。
過去の、
- ソクラテス
- カルネアデス
- エピクロス
- ストア派
- キュニコス派
などの哲学を学ぶことができる。
そうして全ての時代と交流することができる、
そうして自分よりも優れた人たちと過ごすことができる。
このように、
- ゼノン
- ピュタゴラス
- デモクリトス
- アリストテレス
- テオフラストス
などと付き合いたいと望む人は、
これらの哲人たちはいつでも時間を空けていてくれる。
だけど彼らは決して、
- 死を強要しない
- 人生の年月を無駄には使わせない
- 危険な目に遭うことはない
- 命を狙われることはない
- 金を失うことはない
だから安心して彼らの元から、
さまざまなものを持ち帰ることができる。
すぐにはこのような間暇として、
英知を求める生活はできないと思うけど、
少しづつ哲学について学んでいこうかなと思った。
母ヘルウィアへのなぐさめ
この作品はセネカが追放された時に、
母ヘルウィアに向けてなぐさめ励ますために書かれた。
追放という嫌な感じがする言葉を、
- 住む場所が変わる
- 貧困
- 恥辱、侮辱
などのさまざまなものに分けていって、
それぞれに対して意見を言い自分は大丈夫だと教えようとした。
住む場所が変わることについて
住む場所が変わるというのは、
ほとんどの人は住む場所を変えていくものとして安心させようとしている。
その例として、
- 巨大な都市の群衆
- その他の都市
- 荒れ果てた土地
などが書かれていて、
それぞれ巨大な都市には、
他の自治都市や植民都市、または世界中から流れ込んでくる。
都市に入ってくる理由としては、
- 仕事
- 欲望
- 学問
- 見せ物
- 友人
などの色々な目的のために集まってきている。
その他の都市では、
- 気候の良さ
- 土地の利便性
などで呼び集める。
それ以外の荒れ果てた土地などでも、
そこで生まれ育った住人以外にも、
他所からやってきて住んでいる人がいる。
などと書いていて、
そうして住む場所が変わること自体はそれほど辛いものはない。
他にも歴史の中のことが書かれていて、
- 異民族が住む土地の中にギリシャ人の諸都市がある
- インド人やペルシャ人の間でマケドニアの言葉が話されている
- ギリシャ人はガリアに侵入し
- ガリア人はギリシャに侵入し
このように人間はあちこちを彷徨う存在であり、
道なき土地や、見知らぬ土地でも突き進んで行きました。
人々が新天地を探し求める理由は、
- 祖国を奪われたり
- 国内の紛争に追い出されたり
- 人口過剰でよその土地に送り出された
- 疫病、地震などの土地の欠陥に耐えれず国を出た
- 豊穣の地という噂で国を出ていく
などの色々な国を出ていく理由はさまざまで、
人間は自分の生まれた場所に留まり続けることはない。
貧困について
セネカの意見の反論として、
セネカの土地には、
- 実のなる木
- 葉の生い茂る木
なども豊かに生えていない。
さらに、
- 船の通れる大きな水路もない
- 他の国の人々が欲しがるものは生み出さない
- 住民を養える程度の僅かな実りしかない
- 高価な石が切り出されない
- 金と銀の鉱脈が掘り出されることもない
と書かれていたけど、
セネカはそんな世俗的なものを喜ぶのは、
心が狭い証拠になっていると書いてある。
セネカは貧困はなんら悪いものではないと言っている。
強欲と贅沢で狂ってしまった人ではない限り、
人間が自分を維持するために必要なものは実に僅かで、
少しでも能力のある人間なら不自由になったりはしない。
貧困で失ったのは財産ではなく多忙だと書かれている。
人が必要を求めるのはごく僅かで、
- 寒さを防ぐこと
- 食べ物で飢えと渇きを凌ぐこと
の二つでそれ以上のものを欲するのは、
必要ではなく悪徳ゆえにそうしている。
他にも衣服なども僅かなもので足りる。
例えば、
- 貝をふんだんに使って紫に染め上げ
- 金の糸を織り込み
- たくさんの模様で飾られた服
などを欲しいとなってもそれは自然ではなくて自分が悪いとなる。
そんな人間には失ったものを全て返してもなんの意味がない。
元の状態に戻ればもっとたくさんのものが欲しくなり、
大きな不足が生じてしまう。
それなのに人は、
- 金の器で輝く家具
- 昔の有名作家の銘で名高い銀の器
- 値段が高騰した青銅の器
- 奴隷の群れ
- 肥太った家畜
- 世界中の大理石
などを求めていく。
だけどそれらを集めても精神は決して満たされない。
それは例えると、
渇きを癒そうとしても、
それが水分の欠乏からではなく、
体内の燃えるような熱から生じたものなら、
どれだけ水を与えても満たされないのと同じになる。
そうして、
- なくてはならぬものは追放の地にも十分にある
- なくても良いものは王国にも十分にはない
という結果になっていく。
貧困が悪いものではないとして、
歴史の中で貧困になっていても尊敬されている人の例を書かれていて、
- スキピオの娘たち
- アティリウス・レグルス
- メネニウス・アグリッパ
などの例が書かれている。
それぞれは、
- 結婚に必要な持参金を国庫から受け取った
- 国が彼の農場の管理をした
- 葬儀を人々から募って集めたお金で行った
などのお金を持っていない例として書かれていった。
恥辱、侮辱について
徳があれば恥辱にも耐えれる。
セネカは賢者とは自分を頼りにして、
大衆の見解とは距離を置く存在であり。
そんな賢者は恥辱には心を動かされないと書かれていた。
その例として、
- ソクラテス
- マルクス・カトー
- アリスティデス
などの例を挙げて、
自分自身に軽蔑されるようなことをしなければ、
誰も他人に軽蔑されることはないと書かれている。
そのように偉大な人物が不幸な目にあって倒れたとしても、
偉大さを失わなければ侮辱されることはない。
それは例えば、
神聖な神殿が廃墟になっても、
踏み躙られることなく崇められるのと同じと書かれていた。
母が涙する本当の理由は母の内にある
そうしてセネカは自分は大丈夫だと教えて、
そのために涙は流さなくてもいいと言っている。
そうすると母ヘルウィアが涙を流す理由は母のうちにあることになりそれは、
- セネカから助けを得られなくなったと思うから
- セネカを恋しがる気持ちそのものに耐えることができないから
の2つの理由があると書かれていた。
だけどその1つ目の理由は違うとして、
今までの母にお世話になったことを書いて、
それを理由として違うと示した。
そうして2つ目に注力して書いていく。
母に対して歴史に残っているような、
女性を見習うように書かれている。
- コルネリア
- ルティリア
を見習い、
そうした女性たちの一人に母が数えられることをセネカは望んでいる。
そうして母が恋しい気持ちを克服するために頼るものとして、
- 学問
- 愛する人たち
の二つが書かれている。
学問を学ぶと母に、
- なぐさめ
- 喜び
などを与えてくれて、
さらに心に染み込んだなら、
- 悲しみ
- 心配や根拠のない悩みの苦しみ
などは2度と入って来なくなる。
学問は母の最も確かな守り手で、
学問だけが母を運命の手から救い出せる。
だけど学問は避難場所を約束してくれるけど、
そこに至るまで時間がかかるので支えが必要になる。
そこまでの慰めとして愛する人たちの、
- セネカの兄弟たち
- 孫たち
- セネカの兄の娘ノウァティラの教育
- お父上の愛を想像する
- 母の姉上について
などのことを支えにするといいと書かれている。
それでも思いがたまにセネカに向かうことは避けられないとして、
セネカが今何をやっているのかを書かれている。
セネカは元気ではつらつとして最良の状態にあり、
あらゆる雑事から解放されて、
- 文芸などの比較的軽い研究を楽しんで
- 真理を求めて自己と世界の本性をめぐる探究
- 陸地とその位置の研究
- 陸地を取り囲む海について満潮と干潮が周期的に生じる仕組みの研究
などの現在何をしているのかを書いていき、
自分は大丈夫だとなぐさめていた。
心の安定について
この作品はセネカが追放から戻り、
ネロ帝の時代の時に、
年下の親友のセレヌスからの悩みを受ける。
セネカがその悩みに対してのアドバイスを書いていく作品で、
そのアドバイスは、
- 仕事や友人の選び方
- 財産との付き合い方
- 運命への対処法
など色々書かれている。
仕事を選ぶときに吟味することが書かれていて、
- 自分自身
- 仕事内容
- 仕事を誰のために誰とするのか
などを吟味していく。
その中で1番大事なのは自分の評価で、
自分のことは過大評価をしがちになってしまう。
ある人は、
- 弁舌能力を過信して失敗する
- 無理をして自分の財力では不可能なことをする
- 虚弱な体を激務のために酷使する
- 内気なために政治には適さない
- 頑固なために宮仕えには向かない
など自分に合った仕事をする選択をするように書かれている。
仕事の内容も評価して、
自分の力量と比べるように書かれている。
仕事をする人の力量は、
その仕事に必要な力量を上回っていなければならない、
そうしないと仕事に押しつぶされてしまう。
他には仕事の中には、
- 大変ではないがたくさんの仕事があるもの
- 自由に退くことができない仕事
などのような仕事には近づかないように書かれていた。
財産や持ち物について:限度を弁える
財産について書かれていて、
持たない方が失うよりも苦痛が少ないとして倹約を勧めている。
そのような倹約をしている人として、
- ピオン
- ディオゲネス
の二人の言葉や行動が書かれていて、
その反対の反対のデメトリウスという、
裕福でいっぱいの奴隷を持っている人の例も挙げていた。
そうして金銭の理想的な量として、
貧困に陥ることも貧困から遠く離れてしまうこともない程度の量、
が理想的と書かれていた。
持ち物も限度を弁えるようにして、
本も限度を超えて一面本棚のようにしないと書かれていた。
学問のために出費するのはいいことだと書かれていたけど、
数え切れないほどの書物を蔵書にしても、
その署名に目を通すことさえ一生かけてもできないなら、
その本に何の意味があるのかと言っている。
そうして本を一冊たりとも飾りにしてはいけない。
運命の対処法:偽ったりせず準備をしっかりする
セネカは誰かに起きることは誰にも起こりうるとして、
考えていいと書かれている。
そうして生きていると他人の災いの、
- 病気
- 投獄
- 天災
などを見ても、
自分に襲いかかってくるものだと用心していたら、
武装を整えたりして最初の衝撃は小さくなる。
その誰かに起きることは誰にも起こりうるという言葉を、
残している人としてプブリリウスが紹介されていた。
自分を偽って生きると気苦労から、
いつまでも解放されずに苦しいと書かれている。
そのため自分に率直に生きて疲れたら休むように書いていて、
自分と違う性格の人たちと関わったりすると、
- 落ち着いた気持ちが掻き乱され
- 色々な感情が湧き起こるため
などになるためにそうした感情になった時は休むように書いてある。
孤独と群衆はそれぞれを癒しあう関係になっていて、
- 孤独は人間を恋しがらせて
- 交わりは自分を恋しがらせる
そうして一方が他方を癒す薬になってくれる。
時には気晴らしとして酒を勧めている。
だけどほどほどにとも言っている。
他にも、
- 子供たちと遊んだり
- 踊ったり
なども気晴らしになったりする。
まとめ:生活を変えていきたい
今回の記事では「人生の短さについて他2篇」についての感想などを書いていきました。
難しいことが書かれていて、
全部を取り入れることはできないけども、
少しはできることとして、
- 本、本棚を減らし
- 仕事を忙しすぎないように
- 他の哲学の本を読む
などをやってみて、
他には解説を読んで少しは理解ができたと思うので、
もう一回最初から本を読んでみようと思った。
ちょっと話は変わるけども、
この本を読んでいてセネカがネロ帝の話題を出したときに、
自分はFateのネロのことが思い浮かばなかったのが面白かった。
この本を読んでみて、
勉強になったので他の哲学の本も読んでいきたいけど、
先にこの本を読んで学んだことを実践してから違う本を読んでいきたいです。
キンドルアンリミテッドの紹介:この作品も対象になっていた
この「人生の短さについて他2篇」
という作品はキンドルアンリミテッドになっていたので紹介したいと思います。
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